1985年8月、羽田空港を飛び立った日本航空123便ジャンボジェットB747型機は、30分あまりの迷走飛行の末、群馬県御巣鷹山に激突して、乗客524名中520名が死亡した。単独機の事故による死亡者数としてこの数は空前絶後である。
この飛行機は、事故の7年前に“しりもち事故”を起こしていた。その際図1に示す圧力隔壁を修理したが、図2のように、継目の役を果たさない根本的なミスを犯していた。この圧力隔壁が疲労破壊し、この破壊によって図3に示す操縦用の油圧系統が全て破損した。同機は全く操縦不能となり、図4のように、迷走飛行し、ついに御巣鷹山に激突した。
事故後、圧力隔壁の一斉点検を行い、疲労亀裂の検査基準を強化した。与圧構造のどこか一部が破損しても最低限の飛行ができるようフェールセーフ性を高めることが勧告された。
引用文献 鶴岡憲一、北村行孝:悲劇の真相、読売新聞社(1991)
【設計のアドバイス】
事故は複数の原因が重なって起きる。しかし個々の原因は必ずしも前例がないわけではなく、それらに対しては対策がとれるはずである。どこまでのフェールをカバーできるのかが問題であり、そのレベルを上げる努力を怠ってはならない。
【非技術的背景】
この事故の心理的影響は大きく、しばらくは国内全体の航空旅客が減少した。