失敗百選 〜ツェッペリンが引火して水素で大爆発〜

【動機】
飛行機のない優雅な飛行船時代の大惨事で、多くの人々にショックを与えたため。

【事例発生日付】1937年5月6日

【事例発生地】アメリカ、ニュージャージー州レークハースト

【事例発生場所】アメリカ、ニュージャージー州レークハーストの空中

(図:黄色の部分がニュー・ジャージー州)

【概要】
19世紀から20世紀初頭にかけて、飛行船は豪華な空の客船として夢の乗り物であった。 飛行船を本格的な空の乗り物として実用化させたのは、ドイツ人退役軍人のツェッペリン伯爵であった。 1908年にツェッペリン社を設立。ツェッペリン社の最終完成号機となったLZ129「ヒンデンブルク号」は、 全長245メートル、直径41.2メートル、充填浮遊ガス(水素)約20万立方メートルで6日間の連続航行が可 能な最先端技術を結集した飛行船だった。この船が、1937年の初夏、ドイツ、フランクフルトから大西洋 を横断した後、アメリカ、ニュージャージー州レイクハーストで着陸態勢に入り、繋留綱を地上に降ろし た瞬間、突然爆発し、待ち受けていた大勢の人々の眼前に墜落した。乗客、乗務員合わせて34人が死亡、 多くの乗客が重症を負った。

飛行船に充填された水素ガスへの引火が原因とされる。この悲惨な事故をきっかけに、空の輸送は飛行機 の時代に代わっていき、ツェッペリン社も119機で製造を止めて、「飛行船時代」は幕を閉じた。
【事象】
ドイツ、フランクフルトを出発したツェッペリン社のLZ129「ヒンデンブルク号」が1937年5月6日、悪天候の中をアメリカ、ニュージャージー州レークハースト空港に着陸しようとしていた。突如船尾に閃光が走り、あっという間に炎が船体を包んだ。飛行船は待ち受けていた大勢の人々の眼前に墜落、わずか40秒で全焼した。36人の乗客のうち13人、60人の乗務員のうち21人、地上作業員1人が死亡、多くの乗客が重症を負った。
【経過】
1900年7月2日にフェルディナンド・グラーフ・フォン・ツェッペリン(1838-1917)が硬式飛行船第一号機LZ-1を飛ばす。ツェッペリン氏は軍人や外交官として活躍し、52歳時にドイツ陸軍を中将で退役した後、1909年に商業飛行用のツェッペリン社を設立。 1914年には103隻の軍用飛行船を運航させ英国爆撃などを行なったが、大戦の最中、78歳でその生涯をとじた。
戦後、後継者のエッケナー博士(経済学者)が1928年7月にLZ-128(ツェッペリン伯号)を完成させ史上最初の大西洋 横断空路を開設。
その後作られたLZ-129(ヒンデンブルク号)が1937年爆発炎上した事故により、飛行船の時代は終焉を迎えた。
【原因】
ヒンデンブルク号の外皮に塗ったゴムの摩擦による静電気が火花を発し、水素に引火したものと判明。

ツェッペリン飛行船は空気よりも軽い航空機で、空気力学的外皮を被せた剛体枠組構造と、セルと呼ばれる、空気より軽い水素ガスを詰め、完全に枠内に収めた個別の気球数個を採用している。また、乗客・乗員の乗る比較的小型の居住空間が枠組の底部に取り付けられている。動力源は、数基の内燃機関である。

水素は、4%という低濃度でも爆発する危険性が高く、静電気が原因で発火する可能性がある。その一方、水素の重さは空気の14分の1に過ぎず、素早く消散する。ヒンデンブルク号には推進用にディーゼルエンジンと燃料も積んでおり、最初の爆発に続いて火災も発生した。犠牲者の死因もほとんどがこの火災だという。

ヒンデンブルク号の設計者は、水素でなくヘリウムガスの使用を提案していた。しかし、実質的に世界唯一のヘリウム産出国であったアメリカは、ナチがヒンデンブルク号を軍用に転換することを恐れ、ヘリウムの供給を認めなかった。仮に、水素の代わりにヘリウムを使用していたら、ヒンデンブルク号のこの悲劇的大惨事は起きなかったと言える。
【対策】
水素関連爆発事故は、ヒンデンブルク号以前にも、LZ-4、LZ-10等でも起きていた。原因は気嚢の外皮に塗ったゴムの摩擦による静電気が火花を発し水素に引火したものと判明したので、その対策として静電気を逃す金属箔を表面に塗る処置を施した。そのような処置にもかかわらず、再度ヒンデンブルク号においても水素爆発が起きてしまい、この惨劇の後、ツェッペリン社は事実上の経営に終止符を打った。
【背景】
飛行機がまだ未熟だった時代に、人々を空の旅に誘ったドイツ式飛行船。巨大な鯨に比すべき悠揚迫らざる時代精神の幻影ツェッペリン伯号が世界を闊歩した栄光の時代であっと。そして一次大戦の敗北で過酷な賠償を負い、次第にナチ化していったドイツに戦雲が兆す頃、アメリカ、レイクハーストの上空で豪華客船ヒンデンブルク号が爆発炎上。この事故をきっかけとし、飛行船時代に幕が降ろされた。
【後日談】
その後、アメリカでは悲劇の飛行船ヒンデンブルグ号を扱った飛行船映画が製作された。(「ビンデンブルグ」1975年)。映画のストーリーは、ナチ政権下、サボタージュ工作員というフィクションを絡めたため本事例とは異なるが、アメリカで着陸の際に爆発炎上した点は本事故がモチーフになっていると言えよう。
【知識化】
計画を実行する時はすべてのリスクを考える。 ツェッペリンの燃料に関し、アメリカがヘリウムの供給を認めなかったと言えども、爆発性の高い水素を使用したことに問題があった。設計者のヘリウムガスの使用提案を無視した結果、事故が発生してしまった。懸念がある場合は、使用・実行しないという注意深さが必要である。
【情報源】
  • http://www.asahi-net.or.jp/~jm9n-ymkw/mine/essay/fav/hikohsen.html
  • http://www.monodukuri-net.com/new/3rd/deautabi/kaigai/vol_02/vol_02_a.html