経過

1989年7月19日午後3時16分[現地時間]、アメリカ・コロラド州Denver発ペンシルヴァニア州Philadelphia行きのユナイテッド航空232便McDonald Douglas(マクドネル・ダグラス)DC-10-10型機はDenverのStapleton国際空港を離陸後、経由地であったChicagoのO'Hare国際空港へ向かう航路をとった。その日の天候は良好、機内は乗務員3名、客席乗務員8名、そして乗客285名の計296名が搭乗していた。同機の機長は飛行経験3万時間以上をもつAl Haynes氏、副操縦士にはWilliam Records氏、そしてフライト・エンジニア*2のDudley Dvorak氏が常務していた。

ユナイテッド航空232便は高度約37,000フィート(11,500m)にて順調に飛行を続けていた。同機はネブラスカ州からアイオワ州に入り、経由地であるChicagoに向けてゆっくりと右に旋回を始めていた時であった。突然、「ドーン」という大きい音と共に、機体がガタガタと震えた。その衝撃音の発生とほぼ同時に、コックピットの計器板に第2エンジンの異常を意味する警告灯が点灯した。これを受けたHaynes機長は、同機の飛行システムの指示に従い、第2エンジンのエンジン・シャットダウン・チェックリスト*3の始めるようフライト・エンジニアであるDvorak氏に指示する。そして、Dvorak氏がチェックリストを開始した直後だった、同機は事故により3つの操縦系統の油圧システム全てが圧力を失い始め、同時に油圧システムを制御するオイルの総量も失い始めた。

通常、航空機は「Aerodynamicsurfaces」(エアロダイナミック・サーフェイス)と呼ばれる、方向舵、 昇降舵、フラップ、スラットの装置で舵をとるが、これらは油圧システムによって制御されているため、「Aerodynamic surfaces」装置の油圧システムが破壊されると操縦不能に陥るどころか、機体は絶えず上下左右に揺れ、安定を保つことすら難しいと言われている。

事故発生時に操縦桿を握っていた副操縦士の Records氏は、事故時まで使用していたオートパイロット操縦*4から手動操縦に切り替え、右旋回を続けようとする機体を水平に立て直そうと試みたが、機体はさらに右旋回を続けたため、運航乗務員は同機が「Aerodynamic surfaces」装置による操縦出来ない深刻な状態に陥ったこと把握する。そして、唯一残された同機の操縦術は、残りの左右のエンジン推力を調整しながら舵をとり飛行することであった。そのような状況下でも、Haynes機長は平静を保ち、「Port」(左側)のエンジンの推力を絞り、「Starboard」(右側)のエンジンの推力を上げることで機体の立て直しに成功した。

ユナイテッド航空232便の水平尾翼が破損していることは客室乗務員によって発見され、それはフライト・エンジニアのDvorak氏によって確認された。この時、ユナイテッド航空232便は水平尾翼の他に、テールコーン*5も破損していた。 ユナイテッド航空232便はその後、MinneapolisにあるTraffic Control Center*7(トラフィック・コントロール・センター)に事故発生を伝えDel Moines国際空港に緊急着陸するよう指示を受けるが、同機は事故発生時に右旋回を続け西方向に向かっていたため、アイオワ州Sioux City Gateway空港が緊急着陸地に再選択された。Sioux City Gateway空港は長さ9,000フィート(2,800m)、6,600フィート(2,000m)、そして閉鎖中の6,900フィート(2,100m)の滑走路を備える空港であり、連絡を受けた同空港では緊急着陸に備えた準備が開始された。Haynes機長は乗客に第2エンジンが停止したことを告げ、客席乗務員に緊急着陸の準備をするように指示をした。

DC-10型機のチェック・パイロットであり、またパイロット・トレーナーとしても3,000時間以上の勤務時間を持つDennis Fitch氏は、その日偶然にもユナイテッド航空232便に乗り合わせていた。彼は1985年8月12日に発生した日航ジャンボ機墜落事故*7の発生を受けて、油圧系統が失われた機体の操縦方法について個人的に研究をすすめ、シミュレーター訓練での練習経験があった。そのため、Haynes機長はFitch氏にエンジンの推力を調整するスロットル・レバーの操作を依頼し、他の乗務員は事故で発生したいくつかの問題の解決に専念した。その後、同機は右旋回を続けながら高度を下げ、Sioux City Gateway空港に向かったが、その間も乗務員は、緊急着陸に備え過剰燃料の廃棄、そしてランディング・ギア(着陸装置)を下げるなど休みなく準備を続け、同機は高度約9,000フィート(2,800m)、同空港の北西約21マイル(34Km)にさしかかろうとしていた。 事故発生時、ユナイテッド航空232便は右旋回中であり、同機の「Aerodynamic surfaces」装置は、右に舵をきった状態で作動しなくなっていたため、同機は常に右旋回をとろうとして、機体を直進させることは非常に困難であった。そのため、同機は管制塔が指示した長さ9,000フィートの滑走路31への進入は出来ず、最終的に閉鎖されていた長さ6,888フィートの滑走路22の進入路に入ることに成功した。幸運にも、この滑走路22の最先端は野原であった。

閉鎖されていた滑走路22の着陸準備が整い、ユナイテッド航空232便は最終着陸態勢に入った。しかし、「Aerodynamic surfaces」装置による操縦機能を失っていた同機は降下率と進入速度を制御できなかったため、降下率1,600フィート/分(490m/分)、進入速度240マイル/時(384Km/時)という高い降下率と進入速度で滑走路22に進入した。運航乗務員の多大な努力によって、同機は滑走路の入り口付近、センター・ラインを少し外れただけで接地に成功したが、機体が地面から約6メートルの位置で「Starboard」(右側)の主翼の最先端がランディング・ギアよりも先に接地しまい、機体は炎に包まれながら滑走路上を約3,900フィート(1,200m)滑り停止した。

このユナイテッド航空232便事故では、同機の緊急着陸の際に発生した爆発の大きさにもかかわらず、 運航乗務員4人を含め185名もの人々が一命を取り止めたが、111名が犠牲なった。

原因

飛行中に第2エンジンが破損したユナイテッド航空232便が緊急着陸に失敗した要因の一つとして、事故機の機体が着陸寸前に「Starboard」(右側)に約10度程傾き、右主翼の先端がランディング・ギアよりも先に地面に接地したことが上げられる。通常、着陸時に重要な役割をする「Aerodynamic surfaces」装置の油圧システムの破損で、事故機に残された操縦術は左右エンジンの推力調整しかなかった上に、着陸時という最も低速度飛行を要求される状態で、「Aerodynamic surfaces」装置による十分な浮力が得られなかった。つまり、「Aerodynamic surfaces」装置による操縦が全く出来ない状況下で、機体が浮力を得るためには飛行速度を上げるしかなく、事故機は通常最終着陸進入速度が160マイル/時(256Km/時)のところを、240マイル/時(384Km/時)という速度で進入した。このような複数の要因が事故機の緊急着陸の失敗を招いたと思われる。

しかし、当事故の根本的な原因は、飛行中に第2エンジンが破壊されたことによって「Aerodynamic surfaces」装置の操縦機能を制御する油圧管が全て切断され、「Aerodynamic surfaces」装置が全く機能しなくなったことである。ここで注目される、第2エンジンの破損は、同エンジン前方部に配置されているファン・ディスク製造時の欠陥により亀裂が生じていたことが原因とされている。

事故機の弟2エンジン本体は、残骸より発見されているが、同エンジンの前方部に配置されていたファン・ブレードとファン・ディスクは発見されなかったため、飛行中に分解したと推測された。そして、その推測を裏付けるかのように、事故の際に機体から分解したと推測される第2エンジンの破片はさまざまな場所で発見された。事故後3ヶ月間で、事故機に搭載されていた第2エンジンのファン・ブレード、ファン・ディスクの破片、Fan Containment Ring(ファン・コンタミネント・リング)の半分、そして、同機のテールコーンと油圧パイプの一部が発見され、それらの部品の金属検査を行った結果、ファン・ディスクのボア付近(中央部分)から金属疲労によるものとされる半楕円形の1.24X0.56インチ(31.5X15mm)の亀裂が2つ発見された。また、その亀裂は同エンジンの使用初期段階から発生していたものということが分かり、同エンジンが飛行中に破損した直接的原因につながったと推測されている。ファン・ディスクのボア付近(内部表面)の亀裂はHard Alpha(ハード・アルファ)と呼ばれるエンジン製造過程において0.055X0.015インチ(0.38X1.4mm)という小さな空洞がファン・ディスクに生じたものから広がったものであった。

回収された残骸の調査が進む中で、第2エンジンのファン・ブレードの破片が機体の尾部付近にはまり込んでいたことが分かった。それは、第2エンジンのファン・ディスクの破損により分解されたファン・ブレードの破片が機体尾部まで移動して、機体尾部にある防護壁を突き破り3つ全ての操縦系統の油圧システムを破壊したとことを裏付けている。

生産から17年が経過していた事故機の第2エンジン・ファン・ディスクは幾度かの定期検査をはじめ、「Fluorescent Penetrate Technique」と呼ばれる、蛍光浸透技術を使用した検査が、同エンジン製造元のGeneral Electric(ジェネラル・エレクトリック)社によって6回行われていた。この検査はファン・ディスク自体をエンジン本体から分解して行われる大掛かりな検査であったが、問題は発見されなかった。また、ユナイテッド航空も独自の分解整備を行っていたが、それは簡単な目視のみで済まされていたことなどから、問題発見には至っていない。

ファン・ディスクに生じていた亀裂は、約0.5インチ(12.5mm)程のもので決して目に見えないものではなかった。 それにもかかわらず、なぜ幾度もの定期検査で問題が発見されなかったのか。航空会社と製造会社の安全に対する 安易な姿勢が見え隠れしている。NTSB*8の最終調査結果によると、最大の事故原因は検査員が検査の際に問題を 発見できなかった「ヒューマン・エラー」と結果づけた。