経過

事故があったのは1995年7月29日早朝、午前5時42分、ラピッドシティの南東3キロメートルの30号ステーション。 6本ある天然ガスラインの第4ライン主バルブ(Main Line Valve:MLV30-4)付近。 そこから東に204km下流にあるウィニペグ(MLV39)でMLV30の第4ラインに動作圧力の降下とガス流量増加が記録された。 日中、ラピッドシティ近くの30号ステーションは有人ステーションで、ウィニペグの39号ステーションで24時間監視、 遠隔操作をする。圧力降下とガス流量増加は急激で、原因は外径1,067mmの天然ガスライン100-4が破裂したためであった。 この破裂から火災が起こり、地面に大きな穴を開けた。

早朝ではあったが、そのときMLV30には作業員が1人いた。 同作業員は爆発の2分後、ウィニペグの地区管理施設に火災と自分が負った軽症の報告をしようとしたが失敗、 火炎が近く、ステーション敷地外に避難、ステーション敷地外の電話から連絡を試みたが、 これもできず、ステーション門まで戻って見物者の携帯を借りて地区管理施設への連絡にやっと成功した。 作業員は敷地門そばの緊急停止ボックスから繰り返し緊急停止を試みたが失敗。 後でわかったのは、このとき作業員がパニック状態にあり、緊急停止ボタンを十分に押さなかったため作動しなかった。

作業員が緊急停止を試みていたとき、ウィニペグの地区管理施設でもステーション30の緊急停止を遠隔で行おうとしたが、 コンピュータスクリーンには停止が表示されなかった。次に地区管理施設で行ったのはステーション30の全隔離、 即ち6本のパイプラインの主バルブ等、全バルブを閉じる遠隔操作だったが、これも信号の発信は確認できたが作動しなかった。 地区管理施設ではこの後も何回も全隔離を試みたが失敗し続けた。

ステーション30の全隔離に失敗した地区管理施設では、上流111kmのムーソミンステーション25の全隔離を実行し、 6:04に無事隔離を確認。続けて下流109kmのポルタージ・ラ・プレーリ、ステーション34の全隔離も実行。 事故サイトのステーション30を挟む形で全隔離できたこの時点で、火災現場への天然ガスの流入を阻止できた。

この後、6:06から6:35の間、地区管理施設では個々のバルブに『閉じ』のコマンドを送って主バルブを閉じることに成功。 しかし、この制御のアルゴリズムの問題で、この『閉じ』コマンドを15分以内に繰り返し送らなければならなかった。

6:30には第4ラインの破裂箇所、MLV30-4とMLV31-4間のセクション隔離に成功したが、先に破裂、 火災を起こした第4ラインに隣接した第3ラインが続けて破裂、炎上。 しかし、6:35にはウィニペグの地区管理施設からMLV30-3とMLV31-3を閉じ、破損部分を隔離した。

事故からおよそ2時間後の7:40、パイプライン、100-3と100-4はそれぞれMLV30とMLV31で遮断され、 破損部周辺の火災も自然に鎮火した。ただし、破裂したパイプライン端部では、小さな炎が数時間に亘って燃え続け、 12:30にやっと消えた。

原因

まず、パイプラインが破裂した原因については以下のように考えられている。

第3ラインの破裂は、第4ラインの破裂から誘発されたものであるため、第4ラインに注目する。
第4パイプは1973年、にアルバータ州カムローズ(Camrose, Alberta)でカナダ規格協会 (CSA)規格Z245.2 に従い、制作されたシーム付円筒管で、グレード X-65、耐圧448Mpa、外径1,067mm、肉厚9.42mmであった。破裂した箇所は、建設時には樹脂コーティング、 高温アスファルト-エナメルコーティング、そして石綿-紙で包まれていた。 このパイプは長さ3.41mの序変厚部分を介して同じ外形だが肉厚11.3mの部分につながっている。 序変部分はその上流と下流の一定厚部分を含め、テープ樹脂とポリエチレンテープで被覆されていた。 破裂したパイプ部分は1973年に 7.6MPa の静圧試験に合格したが、それ以降、静圧試験は行われていなかった。

また、破裂した100-4、を含め、MLV30からMLV31間のパイプは 1987、1988、1990、1994年と4回に亘り応力腐食割れ(SCC)検査を受けている。 さらに陰極防食のため、電流が流されている。

上記保護にもかかわらず、パイプ破裂の原因は応力腐食割れと考えられている。 未だ完全に解明には至っていないが、ポリエチレンテープが応力腐食割れを誘発した可能性は高く、 また、その剥がれのためにせっかくの印可電流がシールドされていた可能性が強い。