失敗百選 〜ドニャ・パス号の衝突・炎上(1987)〜

【事例発生日付】1987年12月20日

【事例発生場所】フィリピン タブラス海峡

【事例概要】
定員オーバーの乗客を乗せマニラに向かってタブラス海峡を進んでいたドニャ・パス号が突然1,000トンのガソリンを 積んだ小型タンカーヴェクター号に激突した。次の瞬間全船が火達磨となった。
ドニャ・パス号の犠牲者は最小でも1,575名(乗客定員1,518名、乗組員58名)少なくとも2,500名を超す犠牲者を出した (サルピシオ・ラインの発表では4,375名)。1隻あたりの犠牲者数ではタイタニック号を凌ぐ海難事故である。

【事象】
マニラに向かってタブラス海峡を進んでいたドニャ・パス号が突然1,000トンのガソリンを積んだ小型タンカーヴェクター号 に激突した。次の瞬間全船が火達磨となった。
ドニャ・パス号の犠牲者は最小でも1,575名(乗客定員1,518名、乗組員58名)少なくとも2,500名を超す犠牲者を出した (サルピシオ・ラインの発表では4,375名)。
【経過】
1976年6月、サルピシオ・ラインという海運会社がマニラとミンダナオ島間の輸送力 増強のため、日本から1隻の中古貨客船を購入した。この船はかって琉球海運の鹿児島と那覇間の航路に就航していた 「ひめゆり丸」(総トン数2,650トン)であった。サルピシオ・ラインは「ひめゆり丸」をフィリピンの国内航路仕様に 改造し、船名をドン・サルピシオ号と改名して就航させた。
1979年6月、ドン・サルピシオ号は火災で全損してしまった。ところが、サルピシオ・ ラインは、全損し焼けただれたドン・サルピシオ号の船体を、海上保険会社からスクラップとして再購入し、改修工事を行い、 元の航路用の客船ドニャ・パス号として再起させた。 ドニャ・パス号は「ひめゆり丸」のスマートな上部構造物と違い、出来るだけ多くの乗客を乗せるために、船体の前兆 にまたがるような三層の大きな上部構造物が設けられ、旅客定員も以前の532名から1,518名と大幅に増加していた(ドン ・サルピシオ号も同様)。
1987年12月、クリスマスシーズンに入り、ドニャ・パス号は超満員の乗客を乗せて、レイテ島のタクロバンからサマール島のカタロバンを寄港し、一路マニラに向かっていた。
12月20日午後3時ごろ、荒天気味のシブヤン海に入ったドニャ・パス号は北西に進み、ミンドロ島とマリンドーケ島の間のタブラス海峡にさしかかったのは午後9時半ごろであった。
上空は曇り空で闇夜に近かった。
午後10時ごろ、時化模様の海上を進んでいたドニャ・パス号の右舷目の前に突然1隻の船が迫ってきたかと思った瞬間、その船は同船の舷側に激突した。次の瞬間全船が火達磨となった。
衝突した船はルソン島のバタンガスからマスバテ島の石油基地に向かう小型タンカーヴェクター号(総トン数650トン)で1,000トンのガソリンを積み、ドニャ・パス号に反航するようにタブラス海峡を航行していた。
ドニャ・パス号の犠牲者は最小でも1,575名(乗客定員1,518名、乗組員58名)少なくとも2,500名を超す犠牲者を出した(サルピシオ・ラインの発表では4,375名)。
救助された人の総数はわずか24名、ドニャ・パス号の乗客22名、ヴェクター号の乗務員2名のみであった。
【原因】
なぜ衝突したかは、ドニャ・パスの乗組員すべてが犠牲になってしまったのでわからないが、中古船を乗客定員 3倍にする改造で、しかも定員オーバーの乗客を乗せたため、航行のコントロール能力が劣っていたことも要因の 一つとして考えられる。衝突後ヴェクター号は衝突の衝撃で船体に亀裂が入り、海上に漏れ出した積荷に引火し、 船体が爆発するとともに、漏れ出したガソリンによって周囲の海上が一気に炎上したと考えられる。
【対処】
遠くに燃え上がる船らしいものを発見した付近を航行中の船がただちに駆けつけたが激しく燃え上がる船にはなす術がなかった。翌日の朝の視界が開けてきた時、数人の波間に漂う人影を発見したがほんの一握りであった。21日いっぱいは荒天のため燃え上がっている2隻に近づくことはできなかった。数日後両船に接近出来たときは、2隻とも船体が燃え尽きて、生存者がみられなかった。その後収容された遺体はわずか250体であった。
【対策】
不明
【背景】
1946年にフィリピンが共和国として独立した後、フィリピン国内の島々の間の海上輸送は年を追うごとに隆盛を極め、 この間に数多くの海運会社が設立され各社が小型の船を運航し、旅客や貨物の輸送にあたっていた。
1950年代の後半頃から、それら海運会社の中でも実力をつけた数社が2,000トンくらすの客船などを日本に発注し、 幹線航路に就航させてきた。
しかし旅客の輸送量は年々増加の一途をたどり、これに対応するため各社は日本などから中古の小型客船を次々に購入し、 必要な改造を施して対応してきていた。
【知識化】
@ 利益優先はあとあとにツケがきてしまう。「ひめゆり丸」の2度の改造は信じられない。
A 船など乗物の定員オーバーは危険性をます。
B クリスマスなどの乗客集中時には定員オーバーを容認してしまう。やはり、これらの時期を避けるのが知恵というものか。
【総括】
フィリピン国内航路の場合、乗船者名簿も「あって無き」に等しく、乗船者の数を正確に把握することはできない が、1隻あたりの犠牲者の数では、有名なタイタニック号を凌ぐ海難史上最悪の遭難事件である。

<引用文献>
   大内建二:海難の世界史 交通研究協会 成山堂書店

以上