失敗百選
〜ソ連戦闘機による大韓航空機の墜落〜

【動機】
   国と国との領域などについて 私達は日々気にかけることなく生活し、また、飛行機なども、 それに全面的に信頼をおいているから利用できる。
   この事件については、いろいろ後日談が でているようであるが、乗客乗員の安全のため、 最大限の注意を払ってもらいたいと思うと同時に、 私達も何も知らないで生活はできないということを 再認識しなければならないと思う。

【事例発生日付】1983年9月1日

【事例発生地】ソ連(現ロシア)サハリン

【事例発生場所】サハリン南西部沖合のモネロン島(海馬島)上空

【事例概要】
   1983年9月1日未明、 大韓航空機007便ボーイング747ジャンボ機は、ニューヨークを出発、 アンカレッジを経てソウルに向かっていたが、アリューシャン列島を 過ぎたあたりから機首を西に向けサハリンに向かう予定外のコースを たどり領空を侵犯したとしてソ連の戦闘機に撃墜され、 モネロン島北の公海上に墜落。乗客乗員あわせて269名が死亡。

(サイドローズ提供:大韓航空機007便の通常の航路と当日の航路図)

【事象】
   1983年9月1日、ニューヨーク発アンカレッジ経由 ソウル行きの大韓航空機007便ボーイング747ジャンボ機がサハリン 南西部沖合のモネロン島(海馬島)上空でソ連US15戦闘機のミサイル攻撃 (熱探索誘導ミサイルとレーダー誘導ミサイル)により撃墜され、 モネロン島北の公海上(おおよそ北緯46度35分、東経141度20分)に墜落。
乗客乗員あわせて269人が死亡。
   通常007便はアンカレッジからアリューシャン列島を縦断し 青森県上空からソウルに向かうコースで航行する。 しかし、この日同機は、アリューシャン列島を過ぎたあたりから機首を西に向け 5時間半にもわたってサハリンに向かうという異常なコースをたどり、 通常の航路から500qも西側に逸脱しソ連領空内を侵犯した。
   監視中のソ連軍は、これをアメリカ空軍のスパイ機と判断。
(その頃、アメリカの偵察機が付近を航行していたためソ連は緊急配備をしていた。)
   ソ連軍の戦闘機が緊急出動、高度10500m地点でミサイル発射。
   大韓航空機は撃墜された。
   ソ連は国際緊急周波数での警告や威嚇射撃など、 国際的に取り決めした手順を行わず攻撃。
   一方で、ソ連はいきなり撃墜したわけではなく、再三にわたって警告を発し、 強制着陸もさせようと試みるが、大韓航空機がこれを無視したとの証言もあった。
   ソ連はボイスレコーダーやフライトレコーダーをはじめ主要な残骸や 遺体に至るまで、その殆どを回収し隠匿。
そのため真相が明らかになったのは、ソ連崩壊の後、事故から10年以上もたってからの ことだった。
   同機撃墜から約2ヵ月後、真相究明もなく、遺体も殆ど見つからないまま 捜査活動も終わる。

【経過】
   1983年8月31日、乗客246人、乗務員23人を乗せ、大韓航空機007便は ニューヨークのジョン・F・ケネディ空港から韓国の金浦国際空港へ向け離陸した。
   途中、アラスカ州テッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港での給油後離陸し、 アリューシャン半島を過ぎた辺りから通常の航行コースを逸脱し、カムチャッカ半島、 サハリンを横断。
その距離は約500kmに及んだ。
   ソ連軍防空レーダーが007便をペトロパブロスク・カムチョッキーの北東800kmで 最初に捉えたのはGMT(グリニッジ標準時)で15時ごろ。
   その後、ソ連の攻撃機が18:26に高度10500mでミサイルを発射、4分後の18:30、 レーダーサイトは高度5000mと報告。
   そして、ミサイル発射から12分後の18:38、レーダースクリーンから機影が消えた。

【原因】
   大韓航空機007便は、アンカレッジからアリューシャン列島を縦断し、 青森県上空からソウルに向かうのが本来の航行コース。
   しかし、事件当日、同機はアリューシャン列島を過ぎたあたりで 機首を西に向けサハリンに向かうという予定外のコースをたどる。
   同機は超精密のINS( 慣性誘導装置、慣性航法装置)を三台搭載していた。
   INSとは、自機の位置を検知し目的地まで誘導するための装置であるが、 ICAO(国際民間航空機関)によると、当日、同機のパイロット千炳寅 (チョン・ビョン・イン)機長がアンカレッジ空港離陸後に自動操縦装置を ヘディングモードにセットしたまま、INSモードに戻し忘れたか戻し遅れた、或いは、 切り替えたが作動しなかったためにヘディングモードが継続され、 航路を約500kmも西側に逸脱し、ソ連領空を侵犯する結果となりソ連軍機によって 撃墜されたものと見られる。

【対処】
   ミサイル発射から21分、29分後に、ロシアの救助チームが、 ヘリコプター、KGB沿岸警備艇、民間のトロール船を伴って現場モネロンへの出動を 要請され現場に急行。

【知識化】
   文明が発展し、いろいろなことがボタン1つで操作できるようになったが、 そのボタン1つ、ハンドル操作1つで多数の命が危険にさらされることがある。
   常に、意識し、危機感を持ちながら事に取り組むことが重要である。
【背景】
   当時はまだ米ソ冷戦の色が濃く、またその数ヶ月前には北方領土で 米軍による大規模演習が行われ領空侵犯もあった。
   そのため監視中のソ連軍はこの日、同機が領空内に入って来たのが未明であったこともあり、 同機が民間の旅客機でありながら、アメリカ空軍のスパイ機と誤認したと発表された。
   しかし、事件後20年経った2003年になって、当時のソ連軍戦闘機のパイロットが、 極東軍管区防空軍師団司令部は同機を軍用機でないと認識しながらも ソ連軍の内規に従って撃墜をしたと証言した。

【よもやま話】
   この撃墜事件の5年前、1978年にはロシア北西端のコラ半島の ムルマンスクでパリ発ソウル行きの大韓航空機がソ連領空内を600km近く、 2時間半も侵犯して逃げ回り、強制着陸させられるという事件も起きている。

【後日談】
   1997年7月、東京地検では、日本人乗客2家族の遺族7人が大韓航空に 損害賠償を求めた訴訟で、約1億3600万円の支払いを命じたが、 この裁判でも遺族側が期待した大韓航空側の過失の認定、事件の真相究明には至っていない。
 
【情報源】
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/september/1/newsid_2493000/2493469.stm http://en.wikipedia.org/wiki/Korean_Air_Flight_KAL-007

以上