失敗百選
〜フリックスボローのナイロン原料工場での爆発(1974)〜


【事例日時】1974年6月1日

【事例場所】英国イングランド中部フリックスボロの化学工場内

【事例概要】
   ナイロン原料工場で、シクロヘキサンを空気酸化する プラントで、応急処理で十分な検討なしに取り付けられた反応器管の バイパス管が破裂、シクロヘキサン蒸気が漏洩した。    50秒後、近くの水素プラント付近で(推定)着火、 大規模蒸気雲爆発が発生した。    この事故で、死者34名、負傷者105名の 犠牲者を出し、化学工業史上最も重大な事故の一つ、かつ、 英国の化学工場で最大の事故となった。

【事象】
   ナイプロ社のナイロン原料工場で、 シクロヘキサンを空気酸化するプラントで、応急処理で取り付けら れた反応器管のバイパス管が破裂、シクロヘキサン蒸気が漏洩した。    50秒後、近くの水素プラント付近で(推定)着火、 大規模蒸気雲爆発が発生した。    この事故で、死者34名、負傷者105名の犠牲者を出した。

【経過】
   ナイロン6の原料であるカプロラクタム製造工程の、 シクロヘキサンを空気酸化するプラント(2系列、1系列に反応器6基 カスケード方式直列。反応器間隔約1.2m、段差35p。 一端にベローズの付いた28インチ直管で各反応器を接続)で、 シクロヘキサンの少量漏洩時には、硝酸塩で処理した冷却水をかけて 希釈していた。
   3月27日夕、 第5反応器側板(13o軟鋼板に3.2oステンレスクラッド鋼板内張り) の軟鋼部に、漏洩シクロヘキサン希釈用の冷却水中の硝酸塩に起因する 応力腐食による亀裂(2m)が生じ、シクロヘキサンが漏洩しているのを発見。 プラントを停止した。
   28日午前、 工場長ら幹部の会議で、工場再開を急ぐため、第5反応器を撤去し、 第4と第6反応器を、段差のため2ヵ所で折れ曲げたバイパス管で短絡させて 接続することを決定した。(亀裂の原因確認や、他の5基の反応器の 点検はしなかった)。 設計図や設計計算をせず、工場床面にチョークでスケッチを描いて 施工指示した。
   また、本来28インチ管とすべきところを、 工場で折れ曲げ製作可能な20インチ管(強度計算や耐圧試験は行なわれ ていなかった)で、各反応器に付いているベローズに接続し仮設の足場で 支持した。ベローズが管の軸方向に伸縮するようガイドを取付け、 ベローズ近くで管を固定することが英国規格で定められていたが、 実施しなかった。
   工務技師長が退職し、電気技師が兼務していたため、 設備エンジニアリングの専門知識を持った担当者が不在だった。
   作業終了後、4kg/平方pの窒素で漏れ試験を行なったところ 漏れがあったので、漏れ箇所を補修溶接。 9kg/平方pの窒素試験で漏れはなかった。
   英国規格では、設計圧力の1.3倍(この場合11kg/平方p)以上の 水圧試験を定めているが、実施しなかった。
   4月1日、 プラントの稼動を再開した。
   5月29日、 反応器の1つの下部液面計ののぞき窓付属の底部隔離弁に漏洩発見した。 そこで、プラントを1.5〜2kg/平方pまで降圧するとともに冷却して、 31日、漏洩箇所を修理した。
   6月1日早朝、 プラントを再稼動した。
   04:00、 シクロヘキサン循環開始。 間もなく漏洩発見、再修理を実施した。
   05:00、 プラントを再稼動した。
   16:53、 第4、第6反応器間のバイパス管破壊、シクロヘキサン蒸気約40〜50トン (8.8kg/平方cm、155℃)が漏洩した。
   50秒後、近くの水素プラント付近で(推定)着火、 大規模蒸気雲爆発が発生した。直径約160mにもおよぶ巨大なファイアボール (大気中に巨大な球状火災を形成)が見られた。
   化学工業史上最も重大な事故の一つ、かつ、英国の化学工場で 最大の事故となった。

【原因】
  1. 大事故となった直接原因は第4、第6反応器管のバイパス管破裂 によるシクロヘキサンの漏洩であった。
  2. 上記バイパス管破裂の原因は、プラントの稼動を優先する あまりの不適切な対策であった。
  3. 事故の兆候である第5反応器側板の軟鋼部の亀裂に対し、 原因検討や第5反応器以外の調査を怠った。
  4. 反応器側板亀裂の要因
       漏洩シクロヘキサン希釈用の冷却水中の硝酸塩に 起因する応力腐食
  5. 応力腐食の要因
       シクロヘキサンの少量漏洩に対して、 硝酸塩によるシクロヘキサン希釈作業が日常化していた。
  6. 不適切な暫定対策と原因追求の欠如
       また、大事故以前に何回も漏洩があった にもかかわらず、パッチあての処理に終わっていた。
  7. 設計知識不足
       工務技師長が退職し、電気技師が兼務 など、設備エンジニアリングの専門知識を持った担当者 が不在であったことから、適切な対応ができなかった。
       それにしても、異径管の使用や支持方法、 英国規格の無視などそのいいかげんさの徹底ぶりに 驚かされる。
【対処】
   本事故の発生後、英国政府はフリックスボロ事故調査委員会 を設置、事故原因調査に着手した。
   1975年1月9日、調査報告書をまとめて公表した。

【対策】
   この惨事を受けて英国政府は、 専門家からなる委員会Advisory Committee on Major Hazards(ACMH)を設置し、 大規模な化学プラントでの事故を抑制するための作業を開始し、 第1回目の報告書を1976年に提出した。
   ところが、同年の7月10日にイタリア・セペソで イメクサ社のダイオキシンを含む猛毒物質の大量放出事故が発生し、 22万人以上の犠牲者を出し、ヨーロッパレベルで危険を抑制する議論が高まり、 ヨーロッパ共同体(EC)での規制強化検討が開始された。
   そのためやや遅れたが、 1984年Control of Industrial Major Hazards Accident (CIMHA) Regulation が制定された。
   CIMHAは、毒性、可燃性、反応性または爆発性の物質を 一定数量以上貯蔵あるいは取り扱う危険施設に対して適用される。 適用を受ける施設の所有者は、過去に起こった事故およびその再発防止対策 を健康安全庁(Health and Safety Executive:HSE)に報告するとともに、 大事故を起こす可能性を考察し、その防止策を取っている旨を検査官に 報告する義務を課した。
   また、プラント内およびプラント外の緊急時における 対応計画をたて、一般公衆に必要な情報の開示を義務づけた。

【総括】
   フリックスボロの事故は、爆発による爆風被害が 極めて大きかったため、蒸気雲爆発の恐ろしさを改めて知らしめ、 全世界の化学工場に大きな衝撃を与えた。
   この事故は「フリックスボロの教訓」という言葉を生み、 蒸気雲爆発の発生メカニズム、爆風の成長過程の解析、被害予測などの 蒸気雲爆発に関する研究の引き金となった。
   また、各国で工場立地に関する法規制の強化が進められた。

【知識化】
  1. 大量の可燃性物質が大気中に漏出すると、 可燃性蒸気雲を形成し、これに引火すると 巨大なファイアボールを作り、爆風、放射熱、 飛翔破片による破壊現象となる。
  2. 知識の欠如がとんでもない行動となり大きな事故の 原因となる。    この事故は技術伝承の大切さを教えてくれる。
  3. 素人のトップマネジメントによる生産優先の考えが 事故の引き金となる。
  4. 大事故はパッチ当ての対策の末に発生する。
【背景】
   フリックスボロの化学工場は1938年から硫安を製造していた が、1964年にダッチステートマインズ社(DMS)とフィソンズ社によって 買収され、ナイプロ社として再スタートした。
   1964年から1967年にかけてプラントを作り、 ナイロン6の原料であるカプロラクタムを製造していた。
その製造方法はフェノールの水素添加法であった。
   1967年にナショナルコールボード(NCD)が資本参加し、 1972年には従来の方法に変えて大量のシクロヘキサンを 反応器内に循環させるシクロヘキサン酸化法のプラントを追加し、 生産能力を年20,000トンから70,000トンの生産量増加を図っていた。
   この工場は英国唯一のカプロラクタムの生産工場であった。

以上