失敗百選 〜カーフェリー「エストニア」が沈没〜

【事例発生日付】1994年9月28日

【事例発生場所】フィンランド ウト諸島沖 バルト海

【事例概要】
バルト海航行中のカーフェリー「エストニア」が強風と高波で座礁し、沈没した。912人が死亡・行方不明になった。車両格納デッキの外側扉(跳ね上げ式バイザー)を固定する金具が破損したことが原因とされている。

【事象】
バルト海航行中のカーフェリー「エストニア」が強風と高波で座礁し、沈没した。912人が死亡・行方不明になった。

(上図:ヨーロッパ・黄色の部分がフィンランドにあたる)

【経過】
27日、カーフェリー(RORO客船:注)「エストニア」(全長157m、排水量15,566トン)が、乗客・乗組員1049人を乗せて、エストニアのタリンからストックホルムへ向けて出港。大しけ(風速25〜26m/秒)で高波が10m近いバルト海を航行中であった。
28日0:10頃、機関士が、船内監視カメラの画像で、船首側の車両格納デッキの内側扉(自動車乗降扉)から海水が侵入しているのに気付き、デッキ内の排水ポンプ作動。
0:20頃、船体が一瞬のうちに左傾。(救助された乗客らは、何かがぶつかったような音を聞いたと証言している)。乗客が救命ボートに殺到し大混乱に。
0:24、エストニアから、ただ1回のSOS発信「こちらエストニア号、救助請う。沈没しかけている。船内は停電した。」
0:30、現場に向うフィンランドの救助艇のレーダから船影が消えた。
0:45、乗客の一部は海に飛び込んだ。乗客の多くが船内に閉じ込められたまま沈没、約60mの海底に沈んだ。
3:35、最初の生存者救出。救助されるまで、氷のように冷たい海に6時間以上も漂っていた生存者も多い。
912人が死亡・行方不明になった。

 数海里後方を航海中だった別のフェリーに向けての以下の発信記録がある。

「困ったことになった。船が大きく傾いている。20度か30度はある。救援を頼む」など と呼びかけてきた。これに対して「現在位置を教えてくれ」との問いに「停電だ。位置を いうことができない」と答えた後、しばらくして推定の緯度と経度を伝えてきた。(この 推定位置は正確でなかった)その後「本当に全くまずい状況だ」と言ったまま通信が途絶 えた。

(注)RORO客船:日本では、カーフェリーと呼ばれています。ROROは、Roll on/Roll offの頭を取ったもので、貨物である自動車が自走で船内に出入りできることから名づけられている。自動車が容易に通れる広い出入口と自動車が自由に動きまわれるくらいの仕切りのないスペースをもっているのが特徴です。
【原因】
 
  1. 外側扉固定装置の強度不足・・・・・設計不良(環境調査不足)
    船首の車両格納デッキの外側扉(跳ね上げ式バイザー)の固定装置が、約10mの高波に耐え切れず破損、扉が開いて脱落。   
  2. 内側扉の強度不足・・・・・設計不良(仮想演習不足)
    内側扉は外側扉が破損した場合の二次防御となった筈であるが、実際は内側扉からも海水が浸入してしまった。   
  3. 大量の水に対応する復元力の少なさ
    海水の浸入に対し、一瞬のうちに傾き転覆しているため、多くの乗客を乗せたまま沈没している。救助された乗客らは、何かがぶつかったような音を聞いたと証言しているが、     浸入した海水または搭載された車両が、一気に船壁に衝突した音である可能性が高い。   
  4. 停電による計器確認不能・・・・・設計不良(仮想演習不足)
    船舶事故の場合は、位置確認が重要であるが、停電のため計器による正確な位置を確認することができなかった。非常事態における電源の確保が行なわれていなかった。
【対処】
1994年10月3日、スウェーデン、エストニア、フィンランドの3国による合同調査委員会は、事故現場に最も近いフィンランドのトゥルクで初めての全体会議を開き、海底調査船が収録した海底の船体のビデオフィルムを解析した。外扉を固定する装置の留め具が破損し、外扉がなくなっていた。
「エストニア」と同型式のフェリー総点検で、3日、スウェーデンの港で検査を受けた1隻が船首部の開閉口の固定装置に亀裂が見つかって運航を停止された。
国際海事機関(IMO、ロンドン本部)は、同じ型のフェリーの設計と安全基準について12月の安全委員会で再検討する方針を明らかにした。
1995年4月7日、スウェーデン、エストニア、フィンランドの専門家による調査委員会はフェリーの建造上の問題が事故を招いたとする暫定報告を発表した。
1995年12月に最終報告書を発表した。
【対策】
不明
【背景】
海難事故としては、豪華客船タイタニック号が、1912年に氷山に衝突して沈没した事故はあまりにも有名であるが、重大な海難発生の都度、各国の海難調査機関によって事故原因が調査され、対策が講じられてきた。主な海難事故として、1967年のトリー・キャニオン座礁、1976年のアルゴ・マーチャント座礁、1978年のアコモ・カジス座礁など、大型タンカーの座礁事故が多く、原油の流出による環境汚染問題から重要視されてきた。
1992年にMARPOL条約の改正でダブルハル(二重船殻構造)の義務付けなどである。
タンカーの事故に比べカーフェリーは極端に少なかった。今回の事故は、カーフェリーという車両と乗客を乗せる独特の船体構造において発生した事故であったが、船体構造という観点からは、タンカーのダブルハル化と共通点がある。  
【知識化】
@ 便利または経済性の優位性が安全を損なう場合がある。 カーフェリーは事故があった扉の開閉で容易に自動車を船内に搬入できる。という ことは、海水も容易に浸入することができるということになる。
A 二重の安全は安全でない場合もある。
B 事故があっても、事故の影響を最小に食い止める対応が不可欠である。
【総括】
事故後、同型式のカーフェリー総点検で固定装置に亀裂が見つかっているという。事故後の検査でしか見つからないところにまず大きな問題がある。報告だけ見れば、固定装置の設計不良が直接原因であるが、固定装置が壊れても(固定し忘れても、、、。実は、事故直後固定されてなかったとの情報もあった。人間が操作するのであり得る。)被害を最小に食い止めるものでなければならない。カーフェリーは、甲板部に車両を収納する構造であり、車両甲板に水が入っても大丈夫な復元力を持たせるためには、車両甲板にも仕切り隔壁を設けて浸水をある範囲に押さえるのが有効であるが、仕切り隔壁の設置費用のみならず車両の積載効率の低下ともなるのが課題である。

以上